原子力発電所の歴史とこれから

Home / 原子力発電所の歴史とこれから

原子力発電所の歴史とこれから

2020年6月29日 | 未分類 | コメントはまだありません

最終更新日 2024年4月8日 by muscxs

核分裂反応を利用して発電を行う原子力発電所は、エネルギー効率の優れる発電所として、世界的に導入が行われてきた歴史があります。
実用化の切っ掛けになったのは、1942年にアメリカで成功を収めた核分裂の連鎖反応の実験です。

 

世界で初めて原子力発電所を稼働させたのは旧ソ連

それから9年後の1951年に、実際に実験炉を作って実証実験が行われました。
最初の実験炉の発電量は1kWととても小さく、実用的ではありませんでしたが、しかし実用化に向けて十分なデータが取れたのも事実です。
連鎖反応や実証実験はアメリカが世界に先駆けて行っていたものの、世界で初めて原子力発電所を稼働させたのは旧ソ連でした。
1954年に運転を開始したのを機に、その後アメリカやイギリス、カナダやフランスと、ノルウェーも続くように原子炉を作っています。
欧米を中心に広まり実用化された技術ですが、日本で普及することになったのは1960年代以降のことです。
日本は第二次大戦の敗戦の影響で、原子力に関する研究が全面的に禁止されていました。

 

1952年のサンフランシスコ講和条約発効がきっかけ

転機が訪れたのは1952年のサンフランシスコ講和条約発効です。
当時のアメリカ大統領、アイゼンハワーが国連で平和のための原子力演説を行ったのを切っ掛けに、原子力の研究が再開されることになります。
1955年に原子力基本法が成立、1956年に原子力委員会の設置、同年に特殊法人日本原子力研究所の設立とトントン拍子で話が進んで行きます。
後に事故が起こることになる東海村は、日本で原子力研究が始まった当初から、日本における研究の中心地となっています。
1963年に日本初の原子力発電が行われ、東海村の動力試験炉の初発電によって、この日を記念に10月26日が原子力の日に定められました。
1957年には、9電力会社による電源開発出資と日本原子力発電株式会社の設立が行われているので、原子力発電所の稼働と電力供給の下地は早い段階でできていました。
1966年に運転が始まった東海発電所は、最大16.6万kWの出力で32年の間稼働を続けました。
現在は稼働を停止して2025年の廃炉完了を目指していますから、日本初の原子力発電所はもうすぐ消滅を迎えます。

 

多くの発電所は廃止が決まり稼働が止まっている

1970年に運転し始めた美浜発電所と敦賀発電所は、2015年に稼働を終えた状態です。
後発の福島第一原子力発電所は、東北地方太平洋沖地震の影響によって、一足先に稼働が終了しています。
多くの発電所は廃止が決まり稼働が止まっており、廃炉の計画が立てられ実行されているものもあれば、計画のみだったり計画すらまだ白紙のものもあります。
2020年現在で稼働中なのは33基で、最も古いものだと1974年に稼働し始めています。
半世紀近く使用されてきていますから、何時寿命を迎えてもおかしくないといえるでしょう。
出力こそ80万kW台に留まりますが、日本の電力事情を支える重要な役割を担っているのは確かです。
33基が運転中ではありますが、中には地震の影響を受けて停止していたり、将来的に運転再開が予定されている発電所も存在します。

 

福島の発電所が壊滅的な打撃を受けた

2011年の東北地方太平洋沖地震と津波によって、福島の発電所が壊滅的な打撃を受け、災害大国と呼ばれる日本の原子力リスクが浮き彫りになりました。
予定より廃止が早く決まった発電所が多く、点検が必要な発電所の運転が停止したりと、日本の電力事情の変化が起こり、今後の原子力政策の見直しが必要になりました。(参考データ:アトックス
原子力発電所の停止で、急遽電力の不足を補う必要が出てくることになります。
休眠していた火力発電所を再稼働させたり、電力消費を抑える為の節電なども行われました。
現在も運転再開や廃炉、将来の電力をどうするかなど、手探り状態が続いたり課題は山積しています。
海外、特にヨーロッパ諸国では、東北地方太平洋沖地震のショックで脱原発が進み、再生可能エネルギーに移行する傾向が見られます。
日本はアメリカやフランスといった原発を推進する国と同様に、今後も運用を模索して電力供給に活かしたい考えがあるようです。

 

風評被害が起こって農作物や海産物の出荷、輸出が難しくなる

津波で壊滅的なダメージが起こり、放射性物質が海に流出した結果、発電所を設置する福島は世界中から注目されることになります。
風評被害が起こって農作物や海産物の出荷、輸出が難しくなり、日本国内でも需要が低下することになりました。
懸命な努力のおかげで、イメージは少しずつ改善されていますが、それでもまだ影響は残りそうです。
実際のところ、出荷前の徹底的な検査によって、安全性はむしろ他の地域よりも安全という意見もあります。
ところが、一度ついたイメージの払拭は難しく、口にする食品はそのハードルが高いといえます。
廃炉を完全に終えたり、放射性廃棄物の安全な処理が確立されるまでは、失った信頼を取り戻すのは難しいと考えられます。
このように、70年ほど前に開発され実用化された原発は、約70年の間に普及や課題の発生、代替エネルギーへのシフトと様々な出来事が起こっています。

 

まとめ

今後、世界的には核分裂に代わる核融合などの発電技術が確立されるまで、現状が維持されるものと思われます。
日本は縮小傾向になると予想されますが、同じく次世代技術待ちとなりそうです。
 

About Author